例えば、集落の北を流れる川の名前は「高麗川」、町で最も大きいタクシー会社の名前も「高麗川タクシー」だ。学校や地下鉄の駅の名前にも「高麗」が付けられている。神社を守る宮司一家は、代々「高麗」姓を名乗ってきた。宮司一家でなくとも、「高麗井」という名字の地元民は少なくない。高麗神社の関係者は「中山や加藤といった名字の人の中にも、高麗の家門から分かれていった傍系が大勢いる」と語った。

 高麗若光から60代目にあたる高麗文康宮司(50)は、記念の祭祀(さいし)の準備のため22日から奔走した。近隣の地域全体がお祝いの雰囲気に包まれていた。この神社を後援してきた韓日民間人の団体が「若光の会」だ。同会の会長を務める在日韓国人2世の朴仁作さん(80)は「日本には百済の遺民が立てた神社も、新羅の人々が立てた神社もあるが、その中でも高麗神社は『韓民族の末裔』ということを一度も隠すことなく堂々と明らかにしてきたという点で特別な場所」と語った。

 300年の歴史があるスギ林で、在日韓国人の女性2人が伽耶琴で「アリラン」を演奏した。ここは埼玉県日高市。なだらかな山裾に広がる青い水田の間を、澄んだ川が流れる場所だ。今から1300年前、高句麗人1799人がこの地に定着した。大帝国の高句麗が唐・新羅連合軍に滅ぼされた後、亡国の遺民として48年間にわたり韓半島(朝鮮半島)と日本列島をさすらった末のことだった。

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