自分が問いかけたはずの議論にすら真摯に対応しない極めて不誠実な態度です。詳細は以下から。

「ぼくは、冷静です。そしてとてつもない応援者たちと膨大な数の仲間がいます」という部分に至っては何をアピールしたいのか全く不明ですし、「この『声』を聞いたあと、ドアを開けて広がる現実をちゃんとみていただきたい」という言葉は完全なるブーメラン。SNS上の、そして反対署名という「声」を聞き、ドアを開けて広がる現実をちゃんとみていただきたいものです。

神戸新聞NEXT|総合|神戸港巨大ツリー 催事後伐採「生田神社鳥居に」
神戸新聞NEXT|総合|巨大ツリー活用 鳥居以外は未定 営利目的など否定

大炎上の末反対署名が8000筆以上を集めている神戸市で開催される「世界一のクリスマスツリーProject」。主催のそら植物園代表の西畠清順さんが神戸新聞のインタビューに答えましたが、さらに燃料を投下する結果となっています。

◆ツリーの2割は生田神社の鳥居に、バングルは販売中止
これまで西畠清順さんが「未定」としていたあすなろの木のその後についてですが、「計画当初から材木にする前提だった」した上で、伐採後に一部を神戸市中央区の生田神社の境内にある社の鳥居として奉納するとされました。ただし、このために使用するのは木全体の2割程度に過ぎず、残りの活用方法は実際に未定であるとのこと。
また、このあすなろの木を使った「あすなろバングル『継ぐ実』」の大手通信販売会社フェリシモによる販売は極めて大きな批判を浴びたこともあり中止となりました。フェリシモ担当者は「西畠さんの理念に共感し、支援しようと記念品として企画したが、発表のタイミングなどが誤解を生んだのかもしれない」と回答していますが、タイミングの問題ではないことは理解していないようです。


この段階で「世界一のクリスマスツリーProject」はあすなろの木を根を付けたまま運んで「植樹」すると見せかけながら、結局イベント後も生かすつもりは全くなかったことが確定しました。
また西畠さんは取材に対して「今後を想像したり、議論したりして植物の命について考えてほしかった」と述べていますが、多くの人があすなろの木の悲惨な末路を想像し、西畠さんらが植物の命を愚弄したとして怒りや悲しみを抱き、批判してきたわけです。
しかし西畠さんはみずから公開となる形で議論を巻き起こしたにもかかわらず「応援してくれる人や団体に心配や迷惑を掛けたことは謝罪するが、世間に謝っているわけではない。ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」と言い放ちます。
つまり支持者に対しては騒動で「迷惑を掛けた」ことに謝罪はしますが、議論において批判した「世間」に対しては謝罪するつもりがないどころか、「嫌な人は見なければいい」と議論するつもりすらありません。
主催団体の代表という立場にありながら、いったい自分はどこからものを言っているのか、はたして西畠さんは理解できているのでしょうか?
◆いったい「世界一のクリスマスツリーProject」の何が批判されていたのか
また、インタビューでは批判者の論調を「木がかわいそう」という意見に集約していますが、これは完全な藁人形論法でしかありません。SNSでの批判を見ていれば分かるはずのことですが、単純に「木を切ること」をかわいそうという話をしている人はほぼいませんし、樹齢150年だからダメだという話でもありません。
当然BUZZAP!でも最初から人類が先史時代から木を用いて生活してきたことに触れてた上、樹齢150年のあすなろを切ったこと自体は全く批判していません。
批判されているのはこの樹齢150年のあすなろを「輝け、いのちの樹。」というキャッチコピーのもと、阪神大震災を始めとする被災地への鎮魂を込め「復興と再生のシンボル」と位置づけながら、クリスマスツリーとして見世物にし、オーナメントの数でギネス記録を狙うという軽薄さ。
そしてこのあすなろを植樹したかのように見せかけながら、結局は根付かせることもなくバングルに加工してフェリシモからひとつ税込み送料込み3800円で売りさばくという欺瞞。
またこのあすなろを、150年山の中で生きてきたにもかかわらず「ヒノキになれない落ちこぼれの木」扱いしたこと、周りが山火事になって唯一生き残るというまさにその存在自体が被災者の目から見れば「復興と再生のシンボル」であったこの木を無残に死に追いやっている神経などなど。
◆西畠さんの批判への反論が炙りだしたもの
西畠さんは批判への反論を「あすなろの木について寄せられるご意見等について 〜清順より大切なメッセージ〜」という文章をそら植物園の公式サイトにアップしています。

あまりに空虚で薄っぺらな文章に唖然とせざるを得ませんが、「いま、結果的にこれだけたくさんの方々がこの木に感情移入してくださっている状況を非常にうれしく思っています」としながら、その「たくさんの方々」の怒りや悲しみに向き合わない姿勢は到底理解できるものではありません。
「机上で自然や環境、植物のことを語る人はたくさんいます。でも、これくらいのことをしなければ世界を変えることはできません」とも語りますが、今回の騒動で批判した人々が机上のみで語っていると考えているのであればあまりにも傲慢。自分だけが世界を変えるアーティストだとでも勘違いしているのでしょうか?
また「鎮魂の想いとは、震災を経験したすべての人が口にする権利があると思います。そして、その気持ちを否定する権利はだれにもないと思います」という事に関しては、震災を経験していようがいまいが口にして構わないものでしょう。ですが、今回否定されているのは気持ちではなく、その「表現」があまりにも醜悪であり、震災を経験した人々の怒りを買ったという部分を理解できていないのであれば、あまりにも未熟な独りよがりと言わざるを得ないでしょう。

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