翌15日はアパートへ戻ったが、16日未明の本震は最初より大きく、「尋常じゃない揺れだった」。キャンパスに向かったが、道路周辺は停電で真っ暗。キャンパスのトイレも使えなくなっていた。

 校庭も危険だと言われて、阿蘇キャンパス内の体育館へ。支援物資を地元のお年寄りや子どもに使ってもらうために、学生は出身地に帰る方がいいのではという話が広まり、16日夕に友人とともに車で南阿蘇村を出た。福岡県内に一泊し、18日に川上村に帰ってきたという。

 中村さんの自宅は、熊本キャンパスから徒歩約10分の4階建てアパートの最上階。14日夜は、テレビを見ていて揺れに襲われた。「ドン」と地響きがして、冷蔵庫が廊下にせり出し、棚からCDが落ちて散乱。東日本大震災が頭をよぎり、「同じようになっちゃうんじゃないか」と思ったという。友人と連絡を取り、熊本キャンパスへ。人工芝のグラウンドで学生や近所の住民ら約100人で一夜を過ごした。

 友人には、住んでいたアパートが倒壊し、ドクターヘリで搬送され、一命を取り留めた人もいる。犠牲になった同じキャンパスの学生3人は知り合いではないが、「胸が苦しい」と言う。

 2人はともに、東海大三高校(現東海大諏訪高校)から進学した。

 鹿児島県へ車で移動し、羽田空港経由で帰省した。中村さんはグラウンドでは寒くて眠れなかったといい、「子どもやお年寄りはもっと大変なはず」と気遣う。被災地に残る人に「元気でいて」と願っている。

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